八幡市立松花堂庭園−松花堂弁当発祥の地を愉しむ−〔京都府/八幡市/おすすめお出かけ&お食事スポット〕

八幡市立松花堂庭園−松花堂弁当発祥の地を愉しむ−〔京都府/八幡市/おすすめお出かけ&お食事スポット〕

2022年11月11日

NHKの「えぇトコ いただきます!水と大地のおくりもの 〜京都 石清水八幡宮界わい〜」で松花堂弁当発祥の地と紹介されていて俄然行きたくなりました。

しかも、かねてより乗ってみたかった「石清水八幡宮山道ケーブル」もすぐそこ、ということで、今年の秋の旅行の1番候補地となりました。

落ち着いた風情のある庭園で、茶室も2つあり、美しい樹木に癒される時間でした。

最後の方にあった椿のエリアも素敵そうで、大きな蕾をたくさん付けている姿に咲いたところを見たいと思わせられました。

今回は、石清水八幡宮で知られる京都・八幡市と、お隣の久御山町が旅の舞台。水に寄...
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松花堂庭園の四季いまの庭園(別ウィンドウで開きます)松花堂庭園マップ草庵「松花堂」松花堂昭乗が隠居後に住んだ建物です。広さは二畳で、茶室としての機能も備えます。…
shokado-garden-art-museum.jp
松花堂庭園入り口の建物。右隣が京都吉兆松花堂店、右奥が美術館
園内MAP マップで見るよりもずいぶん広いように感じました
うわー、全国指名手配犯ですね、めっちゃ悪顔です(笑)

植物を根こそぎ食べてしまうので困ったものです。とはいえ元はといえば人間が連れてきて、必要なくなって放置されたのが原因なので、哀れなものですよね。

入り口
吉井勇が戦後3年弱過ごした地とのこと

大正期・昭和期の著作家、歌人、脚本家とのことですが知らないなー、と思ってWikiをみると、

「歌謡曲『ゴンドラの唄』(中山晋平作曲)の作詞を手がけ、大衆の間に広く流行した。」

とあり、映画 「生きる」(黒沢明監督)で志村喬が歌うシーンを思い出しました。「いのち短し 恋せよ 少女(おとめ)」ですね。

看板の文字がいっぱいいっぱいで読みにくいので、テキスト起しをしてみました。(字を大きくしたら読みやすくなるとは限らないという見本ですね)

八幡と吉井勇

放浪の歌人—吉井勇は、昭和20年10月(60歳)から23年8月まで、孝子夫人とともに八幡月夜田に在る宝青庵(ほうしょうあん/通称紅葉寺もみじでら)で暮らした。

勇は、八幡での2年10ヶ月を「人生行路にようやく光明が射しはじめてきた時期」であったと回想している。

終戦による文学上の自由の回復と、出版界の活況が勇の文筆意欲を高め、この期間に雑誌などの原稿を多く書くほか、歌集を9集、小説3編を出版しており、23年1月に宮中歌会始の選者に。8月には日本芸術院会員となり、歌壇の頂点に達した感があった。

その歌境は、人生の幾多の起伏を経て沈潜した枯淡味が増し、日常の生活詠には自然と人間に対する勇の深い愛情を読みとることができる。

とくに、歌集「残夢」には松花堂庭園をはじめとして、八幡の風物と人々の暮らしを詠んだ500余首が収められた。

勇の足跡は、その作詞になる「八幡音頭」として市民に愛誦され、踊り継がれており、男山団地内の地名に「男山吉井」として残されている。

昭和60年10月、八幡市の「やわた文学碑建立事業」の第1号として吉井勇歌碑が序幕された。

  昭乗(しょうじょう)といへる隠者の住みし廬(いお)
  近くにあるをうれしみて寝る
                       勇

最後の歌にある昭乗とは、松花堂庭園を造った松花堂昭乗のことです。

ja.wikipedia.org
記念写真。湯川秀樹、梅原龍三郎、志賀直哉、谷崎潤一郎、谷崎松子、西村大成、吉井勇、吉井孝子の名があります
ものすごい錚々たる顔ぶれですね…
竹の細工が見事です
先ほど、優秀なNAVIのおかげで、この竹林の向こう側の住宅街で迷いました(笑)
紅葉と竹林
紅葉の重なりが美しいです
錦鯉もキレイ
庭に川があるのがいいですね。いろんな変化が愉しめます
もみじは緑でも美しい
竹林が防風林にもなっていそう
やはり水があるといいですね
巨大な鯉たち
カクレミノ
良いイメージの言葉ではないですが、植物に罪はないです
水琴窟、録音してみましたが…
馬酔木(あせび)
石蕗(つわぶき)
この水たまりから下に流れて水琴窟が鳴るようになっています

ケータイで録画したまんまで横向き&データ重くて申し訳ありません…
音の雰囲気だけでも感じていただければ…↓

茶室「梅隠」

「この茶室は8畳の広間と、千宗旦(千利休の孫)好みの四畳半茶室を再現した小間からなります」とありました。名前がカッコいいですね。

広間
潜り
止め石 これ以上入ったらだめよ、ということのようです
すごい石です。思わず「高そう…」とつぶやいてしまいました
こちらの竹林は涼やかですね
石、すげー!!!!
うわー、春には艶やかなんだろうなー、な枝垂れ桜
ススキもあるとは
ちょうど逆光で綺麗に撮れました
つい石畳を見てしまいます
茶室「竹隠」
外園の最後の場所です

国指定名勝 松花堂及び書院庭園(平成26年10月6日指定)
国指定史跡 松花堂およびその跡(昭和32年7月1日指定)

松花堂庭園の内園は、江戸時代のはじめ、石清水八幡宮寺の社僧であった松花堂昭乗が隠居後に住んだ泉坊内の草案松花堂と書院の一部、そして4〜5世紀の古墳である東車塚古墳を改修した庭で構成され、それらが巧みに融合し、大変美しい庭園となっています。現在の内園は、国の名勝に指定されています。

松花堂昭乗(1584〜1639年)は、僧侶としてだけでなく、当代一流の茶道家であり芸術家としても知られ、さらに当時の三大書家として「寛永の三筆」の一人に数えられています。松花堂とは、松の花が千年に一度しか咲かないと考えられていたことから、大変珍しく美しい出来事の比喩として用いられ、昭乗が雅号としたものです。

昭乗は子どもの頃、八幡に来て仏門に入り、のちに、石清水八幡宮寺を構成していた数多くの僧坊のひとつであった瀧本坊の住職を務めました。昭乗の交友範囲は広く、公家・大名や芸術家等に及び、これらの同時代の文化人を集めて茶の湯を楽しんでいました。50代半ばに近隣の泉坊に隠棲し、1637年に方1丈(3メートル四方)の小さな草庵を建て、それを松花堂と名付けました。この建物は住居と茶室を兼ね、昭乗はここに人を招き、茶でもてなすなど文化的な交流を続けました。

19世紀末期に明治政府が誕生すると、神仏分離令が出され、石清水八幡宮の境内にあった仏教施設とともに、泉坊内の草庵松花堂と書院も解体されました。その後八幡の町の中で何度か移築を繰り返し、最終的に東車塚古墳上の現在地に落ち着きます。この草庵と草庵の庭(露地)は、男山山腹の元の所在地と共に、国の史跡となっています。

楊梅(ヤマモモ)の大木
楊梅(ヤマモモ)の大木
楊梅(ヤマモモ) 中国名ヤンメイ、だそうです
楊梅(ヤマモモ)の大木
楊梅(ヤマモモ)の大木
楊梅(ヤマモモ)の大木
草庵「松花堂」の入り口
草庵「松花堂」の入り口、工事中で入ることはできませんでした
女郎花(おみなえし)も覚えていないと読めないですね
女塚

謡曲「女郎花」と女塚

「男山の麓に住む小野頼風と深い仲にあった都の女が、男の足が遠のいたのを恨み悲しんで、放生川(ほうじょうがわ)に身を投げた。女のぬぎ捨てた衣が朽ちて、そこから女郎花が咲き出し、恨み顔に風になびいている姿をはかなんだ頼風も、後を追って入水した。これを哀れんだ人々は塚を築いて女塚、男塚とした。邪淫の妄執に苦界をさ迷っていた男女の亡霊がこの塚から現れて旅僧に回向を乞い、そのおかげで結ばれた。」という物語で名所旧跡にことよせた能作の一つである。

この女塚は女郎花塚ともいい、ここ松花堂公園内に立派に保存されているが、男塚は頼風塚ともいい八幡今田にあり、おい茂る芦はこちらを向いているので“片葉のよし”といわれ、せめて同じ場所にあればと、哀れを誘うばかりである。

歌謡史跡保存会

工事で一旦外されたと思われる鬼瓦
苔が綺麗
紅葉も美しい
工事中の泉坊書院
工事中の泉坊書院
ひこばえも美しく
「小夜侘助(さよわびすけ)」は12月初旬に咲くそうです
椿園はまた来てみたいです

京都吉兆松花堂店で“本当の”松花堂弁当をいただきます

11時半の予約時間にはまだ少し時間があったので、車の中で休憩してから京都吉兆松花堂店へ向かいます。
楽しみにしていた本家本元の松花堂弁当の時間です。

左が庭園の入り口、右が吉兆です
シンプルな外観です
自分には無縁と思っていた吉兆です
松花堂弁当5,100円
ちいさなあられの入ったお茶が香ばしいです
窓際の席からさっき歩いた庭を見ることができます
とりあえずノンアルで
少しずつだけど、いっぱい種類があります。どれも上品な味わい
お吸い物の海老のしんじょう、おいしかった〜。手前はキノコの大黒しめじだそうです
ごはんもおいしい
お抹茶のパンナコッタ
食後は隣の美術館を見ました。地下に展示されているのが意外でした

松花堂弁当、どれも上品な味わいで流石と思いました。量的にはちょっと物足りなくてダイエットにはぴったり?!(笑)

とても良い経験となりました。

この後は石清水八幡宮へ向かいます。

石清水八幡宮と展望台−京都を南から一望できます−〔京都府/八幡市/おすすめお出かけ&お食事スポット〕
石清水八幡宮参道ケーブルから男山山上展望台、そして石清水八幡宮へお参りします。
jiro.garden