久安寺で紫陽花を見て、永楽さんでお昼の後は池田城跡公園へ行ってみました。
白百合の花が一斉に咲いていました♪
でも、櫓(やぐら)と共に撮ろうと思ったら逆光で白百合はみんなあっち向いてホイ状態です(笑)
北側にももういっこ櫓作ってくれい!(^^;;
Contents
まずは駐車場に車を止めます
ダメ元で逸翁美術館の前の細い道を上がって城跡公園入り口の斜め向かいにある駐車場へ行ってみます。
5台しかスペースがないので結構リスキーですが、止めれたらめっちゃ近いのでラッキーです(笑)
↓ APM CAR PORT 24 建石
いっぱいでしたが、少し待っていると空いたので止めることができました。
60分で200円ですかね。くるっと見て回るだけならおおむね1時間で大丈夫ですね。
初めての方は念のため五月山体育館の駐車場など他のパーキングもチェックしておいた方が良いかと思われます。
アプローチから東門へ
東門へのアプローチは橋のようになっていて植栽など緑も趣が有り、下の通路が立体的になっていてなかなか良い感じです。
池田城跡の歴史と整備
池田城は室町時代から戦国時代にかけて、旧豊島(てしま)郡(現池田、豊中、箕面市周辺)を支配していた国人(こくじん)・池田氏の居城でした。
池田氏は、15世紀の中頃から勢力を拡大し、当時の権力者であった摂津守護細川氏の家臣として、有力な位置を占めていましたが、戦国時代末期の永禄11年(1568)織田信長の摂津入国により降伏し、信長の家臣に組込まれました。その後、池田氏の内紛に乗じて旧家臣の荒木村重が池田城を支配し、村重が伊丹城を居城としたため、池田城は廃城となりました。
この跡地整備の基本資料を得る目的で、平成元年度から4ヵ年をかけ発掘調査を行い、確認された枯山水、井戸、虎口(こぐち、城の出入口)などの遺構を復元しました。漆喰塀(しっくいべい)や櫓(やぐら)風の展望休憩舎、管理棟などの建物やデザインは、史実には基づきませんが、城跡のイメージを演出させるものとしました。日本庭園は、深山の景、野の景、海の景の3つから形成され、自然の姿を水の流れで表現しています。歴史の保全と活用から「史跡の歴史を感じられる憩いの場」として整備を進め、平成11年度に完成しました。(池田市)
鵬飛萬里碑文
池田城跡のこの地には 昭和14年(1939)次いで17年(1942)と青少年育成の為の教育施設が設立されていたが 戦後には 将来貿易界に活躍する国際的文化人の養成を目差して府立海外商業学校が開設された。これらはいずれも広く世界に活躍する有為の青少年の育成を目標にした教育機関であった。
昭和22年の教育改革により 国立の師範学校に附属中学校が新設されることになり この文教の地に大阪第二師範学校男子部附属中学校が創設された。同校は現在市内の緑丘の地にあるが 平成8年創立50周年を迎えたことから その記念事業の一環として 同校同窓会である皐城会は 城跡の公園完成を慶祝し 由緒あるこの地に記念碑を建立し これを池田市に寄贈することになった
碑銘の鵬飛萬里は鵬ノ扶搖ヲ搏チテ上ルコト九萬里 という荘子の語に拠り この地に学んだ多くの青少年が 大鵬の大空を飛翔するように広く世界に雄飛して活躍し発展することを願ったものである
碑銘撰文は大阪教育大学教員学部附属池田中学校元教官若藤正芳先生 碑銘揮毫は水嶋山耀大阪教育大学名誉教授尋牛会会長による
平成12年4月 吉日
大阪教育大学教育学部附属池田中学校同窓会
皐城会
東門から中へ
東門の前にも生け花が飾られていて、いつもより豪華に感じられます。
茶室付近から野草園へ
東門を入って北側から廻ると茶室周辺の和風な植栽に癒されます。
芝生地から白百合のエリアへ
広い芝生のエリアも立ち入り自由で、周辺を白百合が囲んでいます。
いけだ薪能の際はここに椅子が並べられます。
白百合と櫓を共に撮影しようとすると、白百合が一斉に南側の櫓の方を向いているのであまり絵になりません(笑)
櫓周辺
櫓の前の舞台から櫓の上に行ってみます。
櫓からの展望
東南側以外は見晴らしも素晴らしく見ごたえがあります。
人口も随分増えたのかと思いきや、10年前とはほとんど変わらず10万3千人ほどですね。
20年前が10万1千人でした。
南門から菖蒲園へ
せっかくなので下の菖蒲園にも行ってみます。
再び南門から虎口門、枯山水へ
南門に戻って反時計回りに東門へ向かいます。
東門から帰ります
小さいながらも植物や景色の愉しめる素敵な公園でした。
春に来た時は休館日で枝垂れ桜を見ることができなかったのが残念でしたが、今日は白百合や花菖蒲、そして園芸高校の皆さんの生け花がゴージャスでとても愉しめました。
暑い中、ひと巡りした池田城跡公園でした。紅葉の季節にも一度来てみたいものです。