5月1日の日曜美術館で取り上げられていた鏑木清方(かぶらき・きよかた)の番組をなんとなく見ていて、心惹かれるものがありました。恥ずかしながらその時初めて聞く名前でした。
「上から目線」という言葉がありますが、それとは対照的に、庶民の暮らしを「同じ目線」で捕えた人、という印象を持ちました。
そして、大正〜昭和と移り行く時代の中で失われてゆく明治の空気感を、彼は残したかったのでしょう。自分が暮らし、愛した時代の人々を優しい眼差しでとらえ残した作品を、やはり見ておきたい、と思いました。会期は明日までです。モディリアーニ展に続き、ぎりぎり人生です(^^;
名神大山崎〜京滋バイパス〜第二京阪 鴨川西で京都へ突入します。
Contents
岡崎公園駐車場
NAVIがいけてないので一本北の「冷泉通り」へ案内されてしまいグルグル(笑)
鏑木清方展
京都国立近代美術館が見えてきましたが、うーわ、結構並んでるね…
三部作がパネルになっています。この『築地明石町』が長年行方不明になっていたとのこと。
「明治期に外国人居留地だった明石町は、ハイカラな洋館が立ち並ぶ異国情緒に富んだ町だった」という明石町は清方の子ども時代の格好の遊び場だったということです。
「それなりの年月を生きた女性」が半身で振り返る姿に、かつての風情あふれる明石町の時代を回顧する清方の気持ちを重ねているのかもしれない、と図録には書かれています。(鶴見香織氏「鏑木清方 生活を描いた画家」より)
「色調も寒色系に統一され、全体として古格を帯びた清雅な趣を呈しているところに、『香気』や『品調』も生まれたと見ることができる」(同上)
いつまでも眺めていたくなる上品な美しさのあふれる作品です。
昭和二年の第八回帝展で帝国美術院賞を受賞した、今や近代の美人画を代表する作品のひとつ。髪を夜会巻に結い上げ、浅葱色の小紋の単衣に紋付きの黒羽織という出で立ちの女性が、朝の冷たい秋風に袖を掻き合わせ、物思う表情で後方を振り返る。かたわらには、水色のペンキが塗られた柵と、盛りを過ぎた朝顔。彼女の視線が向く先には、佃の入り江に停泊する帆前船が朝霧にさえぎられている。明治三十年代によく明石町で遊んでいた清方は、外国人居留地でハイカラだったこの町を理想郷のように思っていた。その当時を回顧し、すでに失われたモチーフと似つかわしい女性によって画面を構成している。直接的な制作動機は関東大震災と昭和への改元を経て、遠のく明治を回顧する思いを刺激されたことにあったが、ちょうどこの時期、世間でも明治回顧のブームが起きていたことも見逃せない。清方は受賞のコメントで「築地近くで育った私の少年時の感興から自づとなつたもので、私の生活の一段片とも言えませう」(『アトリヱ』四巻十号[昭和二年十一月]口絵解説)と述べている。
図録解説より/鶴見香織氏
《築地明石町》から遅れること三年、清方は明石町と同じく思い出深い新富町と浜町を選び、《築地明石町》と合わせて三部作とした。このうち《新富町》に描かれるのは、雨のなか蛇の目傘をさして急ぐ新富芸者である。黒襟をつけた縞の着物に利休色の小紋縮緬の羽織、袖口からのぞく襦袢の柄がひときわ艶やかで、《明治風俗十二ヶ月》の「平土間」に描かれた女性にも通じる粋な装いである。背景に描かれるのは新富座。清方が生まれた明治十一年に新築なった新富座は、櫓のない建物に、ガス灯、絵看板を特徴とする近代的な劇場だった。明治期に全盛を誇った新富座も、大正時代に入ると衰退し、関東大震災で被災して廃座となっていた。
図録解説より/鶴見香織氏
《浜松河岸》は、清方が明治末に足掛け六年にわたって暮らした日本橋の浜町を主題とする。この町に似つかわしい女性として選ばれたのは、踊りの稽古帰りの町娘。と言うのも、この町には歌舞伎舞踊の振り付けで一時代を築いた二代目藤間勘右衛門が家を構えていたからだ。彼女はさっき習った踊りはどうだったかと、記憶をさぐるような目つきで袂をすくう仕草をしている。背景には隅田川の川面が広がり、対岸は深川安宅町の町並みだ。明治四十五年まで木橋だった新大橋や、関東大震災が起きるまで残っていたという火の見櫓も描かれている。 三部作とすることが清方の発案であったかどうかは分からない。清方は町の名前を冠したタイトルに、明治三十年頃の装いに身を包んだ女性を配して、その時代、その土地の情趣を盛り込む構想もそのままに見事に三部作に仕上げている。それぞれに年齢も属性も異なる女性を描き、明治の女性三態とも称すべき広がりを生むことも、清方の意図のうちだったことだろう。
図録解説より/鶴見香織氏
会場ではこれら三部作が並べて展示されていたので、少し後からしばらくの間3作まとめて眺めていました。
数々の美人画も素晴らしかったですが、『三遊亭円朝像』のリアル感や『一葉』の質素な姿も印象に残りました。そしてまた市井の人々を優しい眼差しで描いた数々の作品や避暑地でのスケッチなども心に残りました。
お昼ご飯は新たに探すのも面倒なので京都三条通り商店街へ行くことにしました。
2度目の「海鮮あみたつ」
堀川通で空いている駐車場を発見できず、ここまで来たら「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の精神で目的地近くの南北の道へ攻め入ってみます(笑)
とは言うものの、この狭い道が対面通行なのかよっ!!! と叫びたくなるのが京都の道。口だけ偉そうにしてハートはびくびくで突き進むと、なんと、一番良いところで空き発見。
「あみたつ」の地図も載せておきますね。大宮通りの駐車場から西へ250mほどです。