先月の室生寺に続き、今月はあじさいで有名と言われる奈良県は桜井市の長谷寺を訪れました。
室生寺よりはちょっとだけ近いのですが、ナビの変なルート選択(距離優先?)のおかげで下道をたくさん走らされて妙に時間がかかったような気がします…。
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境内駐車場はすでにいっぱいで豊森駐車場へ
到着した時にはもう既に車もいっぱいで、第3駐車場?というような駐車場にかろうじて駐車することができました。まだ朝の9時ですよ…
豊森駐車場のMAPを載せておきますね↓
境内駐車場には観光バスもたくさん来ていて、高校生たちがわらわら降りてきます。
長谷寺参道
どこからどこまでが参道なのかが曖昧ですが、少なくともこの表通りに面した箇所から仁王門までは参道のような気がします(^^;
左手にトイレが見えたので、いったん脇道へそれます
「いくたびも まいる心は はつせ寺 山も誓い(近い)も 深き谷川」
※下記ブログを参照させていただきました。
入山料と、本堂の特別拝観、大講堂の特別拝観も合わせて1,700円のチケットです。
お寺と言えども霞みを食べてるだけでは生きて行けません。
長谷寺縁起と伽藍
長谷寺は、山号を豊山(ぶさん)と号し、朱鳥(あかみどり)元年(686年)、道明上人が天武天皇のために「銅版法華説相図」を初瀬山西の岡に安置したことにはじまり、のち神亀(じんき)4年(727年)、徳道上人が聖武天皇の勅願によってご本尊十一面観世音菩薩を東の岡にお祀りになりました。徳道上人は観音信仰にあつく、西国三十三所観音霊場を開かれた大徳として知られ、長谷寺はその根本道場とも呼ばれるゆえんであり、長谷詣、長谷信仰は全国に広がりました。
長谷寺パンフレットより
下って天正(てんしょう)16年(1588年)、専誉僧正(せんにょそうじょう)がご入山されてより、長谷寺は関係寺院三千ヶ寺を有する真言宗豊山派の総本山として、また西国三十三所第8番札所として、檀信徒は約200万人、四季を通じて「花の御寺(みてら)」として多くの人々の信仰をあつめています。
仁王門から境内へ
仁王門、立派な造りの門です。
仁王門
長谷寺の総門で、三間一戸入母屋造本瓦葺の楼門である。両脇には仁王像、楼上に釈迦三尊十六羅漢像を安置する。現在の建物は明治22年(1889)の再建。
長谷寺パンフレットより
長谷寺」額字は、後陽成(ごようぜい)天皇の御宸筆。
登廊(のぼりろう)
長谷寺パンフレットより
平安時代の長暦3年(1039)に春日大社の社司(しゃし)中臣信清が子の病気平癒の御礼に造ったもので、108間、399段、上中下の三廊に分かれている。下・中廊は明治22年(1889)再建で、風雅な長谷型灯籠を吊るしている。
宗宝蔵
長谷寺六坊の一つ、清浄院跡地に建つ。
長谷寺パンフレットより
春と秋に開扉して長谷寺に伝わる国宝・重要文化財の宝物公開を行っている。
写真を撮ることが出来なかったので寂しいご報告ですが、硯箱やお盆の装飾(絵)が素晴らしかったです。
二本の杉
ふたもとの杉のたちどを尋ねずば ふる川のべに君を見ましや 右近
はつせ川はやくのことは知らねども 今日のあふ瀬に身さえ流れぬ 玉鬘
二本杉(ふたもとのすぎ)
総本山 長谷寺
源氏物語二十二帖『玉鬘(たまかづら)』において、亡き夕顔の娘である玉鬘は長谷詣の道中、かつて夕顔に仕えた右近と運命的な再会を果たして共に長谷寺に参拝し、初瀬川のほとりにある二本杉の前で和歌を詠み交わしました。
以来、二本杉はその根元がつながり合っていることから、想い人と結ばれ大切な人との結びつきをより一層強いものにする霊木として人々に親しまれています。
「藤原俊成・定家塚」を忘れてここから戻ってしまいました(^^;
ふたたび登廊へ
慈眼院(じげんいん)
立て札より
当山六坊の一院
古くは西蔵院と呼ばれていたが寛文5年(1665)当山第八世快壽僧正により再興・改称せらる
ぜんざい食べたいな〜♪
中廊から蔵王堂へ
またまた階段ですよ。寺社めぐりも案外足腰の健康維持にはいいかもね。
蔵王堂(ざおうどう)
立て札より
天正5年(1577)の創建
三体の蔵王権現を祀る
寺伝によれば吉野金峰山寺より金の梯を渡って蔵王権現が現れ
功徳成就墜 諸佛経行砌
諸天神祇在 此山振威験
と告げたという
紀貫之 故郷の梅
人はいさ心も知らずふるさとは
花ぞ昔の香ににほひける(古今集)
此裡に春をむかへて我もけさ
清僧の部也梅の花 一茶寛政10年(1798)元旦 登嶺の際詠まれし俳句
立て札より
荘厳な雰囲気の山中で迎えた今朝 身も心も清浄 自分もまた清僧の仲間入りした感あり 一山に響く読経の声を耳に新しい人生の首途(かどで)の決意もみなぎる
この心境を言えば 寒気の中に凛として香り咲くまさに梅の花の如し
いよいよ本堂へ
399段、上りきりました!(笑)
ここから見るだけではそんなに大きさを感じませんが、実はめっちゃでかい建物なんです!
本堂(御本尊十一面観音菩薩)
長谷寺パンフレットより
国宝に指定されている本堂は、慶安3年(1650)に徳川家光により造営された大殿堂。10mを越す本尊を納める正堂、本尊を参拝する礼堂が屋根で繋がった入母屋造。山の斜面に建てられ、その大きさを懸造りにより支えられている。
いちいち靴を脱ぐのが大変面倒なんですが、土足という訳にもいかないし礼儀としては仕方ないんですけどね… つばのある帽子も注意されるようです。
受付で五色のブレスレットをもらいます。
中に入ると、巨大な仏像に圧倒されます。ただただ「すげー」です。室生寺にあったのと同様の12神像もありました。
長谷寺 “時の貝”
【枕草子】師の坊に
をのこども・女・童(わらべ)などみなゆきて つれづれなるに ただ傍に貝(ほら貝)を俄に吹き出したるこそ いみじう驚かるれ枕草子の作者、清少納言をおどろかしたホラ貝の音は、今も昔と変らず、一千年余の時を経るも、こもりくの初瀬の山々にこだまし、一山の僧侶・参詣者・町の人びとに時を告げている。
説明看板より
長谷寺の時報は、明け(午前6時)の鐘に始まり、12時は貝と鐘、夜の8時の貝で終わる。法要等の行事には、集会(しゅうえ)の太鼓を打ち半鐘を鳴らして、用意・入堂などを合図する。このように長谷寺の一日は鐘・ホラ貝・太鼓・半鐘によって時を告げ、行事を知らせて規律ある行動をする。
うっそうと茂る東の山が大初瀬山(おおはつせやま)で与喜山と呼び、天照大神常影向の御身体山であり、西の山は小初瀬山(おはつせやま)で観音山と称し、十一面観世音菩薩を安置する。この両山が一体となって初瀬山を構成する。神仏一体即ち神仏集合の信仰を象徴する。
長谷寺本堂は、舞台造りの建造物としては日本一の代表建築であるが、その舞台は単に眺望のためのみではない“与喜山礼”即ち天照大神はじめ諸仏・諸神を拝礼する信仰の場所でもある。古図によると、現在の舞台より更に突出した形で、初瀬の全容を拝するように造られていた。時の貝は、この舞台入口の東南の角で吹く習慣で、つまり時計台の役割も果たしていて、現在では鐘楼堂にて吹いている。
開山堂(かいさんどう)
長谷寺パンフレットより
長谷寺開山、徳道上人を祀る。併せて西国三十三所各霊場の御本尊様をお祀りしている。毎月2日、徳道上人回向の法要を行っている。
あじさい回廊へちょっとだけ
iPhoneでちゃちゃっと撮って早々に退散します(笑)
この回廊は寄せ鉢してるだけなので、取ってつけたような演出になってはいますが…
まあ奇麗なので撮影スポットとして賑わうのは分かる気がします。
五重塔へ
茶所で一休みしてから五重塔へ向かいます。
五重塔
長谷寺パンフレットより
昭和29年、戦後日本に初めて建てられた五重塔で、「昭和の名塔」と呼ばれている。純和様式の整った形の塔で、塔身の丹土色と相輪の緑青色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は、背景とよく調和し、光彩を放っている。
丹土色(につちいろ)とは朱色を少し落ち着かせた色とのことです。
本長谷寺(もとはせでら)
長谷寺パンフレットより
天武天皇の勅願により、道明上人がここに精舎を造営したことから、本長谷寺と呼ばれている。朱鳥元年(686)、道明上人は天武天皇の御病気平癒のため国宝『銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)』を鋳造し、本尊としてお祀りされた。
↑シャネルにリンク貼ってみたら拒絶感半端無いw
シャネルのロゴマークは両端が切れてるんですね。Cの左右対称みたいな。
弘法大師御影堂(こうぼうだいしみえどう)
長谷寺パンフレットより
宗祖弘法大師1150年御遠忌を記念して、昭和59年(1984)総檜で建立された。大師の両側には、細密な版画『長谷寺版両界曼荼羅』が祀られている。毎月21日、弘法大師御影供の法要を行っている。
一切経蔵(いっさいきょうぞう)
立て札より
元禄4年(1691)牧野備後守成貞の寄進により再建
一切経は寛文7年(1664)水野石見守忠貞の寄進によるもので現在は宗宝蔵で保管されている
平成13年(2001)県指定文化財に指定
奥の院はパスして本坊へ。かなり歩いたので、二人とも結構疲れてきました。
閼伽井(あかい)
立て札より
灌頂(かんじょう)などの重要な儀式法要に用いる清浄な水(閼伽)を汲む井戸
閼伽は梵語(古代印度のことば)のアルギャという音を写した言葉
うわー、こんな字(閼伽井)変換できるんか?!と思いながら「あかい」って入れたら出てきたよ!!!
灌頂(かんじょう)も普通に変換できてびっくり。すごいぞ「かわせみ3」(笑)
あら、いつの間にか4になってた… うちのMacBookAir15M2もSonomaやからアップデートしとかないとなあ…
本坊
本坊
長谷寺パンフレットより
事相・教相の根本道場である大講堂や書院などがある。寛文7年(1667)徳川将軍の寄進で建立されたが、明治44年(1911)炎上。現在の堂宇は大正13年(1924)に再建された。総檜造の大殿堂で、平成26年(2014)12月10日重要文化財に登録された。
御所桜
光明法皇御庵跡北朝第二光明天皇(光明法皇)
立て札より
康暦2年6月24日
大和長谷寺の勝尾庵にて崩御
「続史愚抄」記
なんと、箕面の勝尾寺草庵で崩御されたとは… 近くにも歴史あり、です。
豊臣秀長公供養塔のある奥の院へ行ってないのがちょっとだけ心残りだけど、もう歩けまへんわ…
門前通りでくさ福餅を買います
お腹も空いてるけど、門前通りも人でいっぱい。とてもお店に入れるような様子ではありません。
とりあえず草餅だけは買って帰ろうと少し歩きます。
というわけで6個入りを(相棒が)買って帰りました(^^)
お昼はなぜか家の近所でw
人と車でごった返す門前通りへ戻る気になれず、駐車場からそのまま山の方へ向かいます。
県道38号をまっすぐに北上、上之郷小学校あたりで県道50号へ合流左折、県道247号に入り、途中北上して国道25号に合流、「福住」から名阪国道に合流という、ほとんど信号も交通量も無いルートで帰途につきました。この道、案外良かったかも。
あとは近畿道〜阪神高速東大阪線〜池田線のルートでサクッと家路に。
豊中の「麺処まつ本」でお昼にしようと寄ったら、なんと店内改装でしばらくお休みとな!!!!!
ねぎ焼き みつい
仕方なく石橋でお昼にするか、といろいろ悩んで結局家の近くのお好み焼き屋さんでお昼となりました。
車も置いてきてビール飲めて最高!お疲れさまでした〜♫