長谷寺のあじさい〔奈良県/桜井市/おすすめお出かけスポット〕

長谷寺のあじさい〔奈良県/桜井市/おすすめお出かけスポット〕

2024年6月8日

先月の室生寺に続き、今月はあじさいで有名と言われる奈良県は桜井市の長谷寺を訪れました。

室生寺よりはちょっとだけ近いのですが、ナビの変なルート選択(距離優先?)のおかげで下道をたくさん走らされて妙に時間がかかったような気がします…。

境内駐車場はすでにいっぱいで豊森駐車場へ

到着した時にはもう既に車もいっぱいで、第3駐車場?というような駐車場にかろうじて駐車することができました。まだ朝の9時ですよ…

豊森駐車場のMAPを載せておきますね↓

豊森駐車場の様子。どこからこんなに人が沸いてくるんだろう(笑)自分もその一人(^^;
駐車場の横は渓流になっています
ほんとはここに停めるつもりだった本家本元?の境内駐車場

境内駐車場には観光バスもたくさん来ていて、高校生たちがわらわら降りてきます。

長谷寺参道

どこからどこまでが参道なのかが曖昧ですが、少なくともこの表通りに面した箇所から仁王門までは参道のような気がします(^^;

参道入り口とうちゃこです
「総本山 長谷寺」
仁王門が見えてきました

左手にトイレが見えたので、いったん脇道へそれます

長谷寺御詠歌碑

「いくたびも まいる心は はつせ寺 山も誓い(近い)も 深き谷川」

※下記ブログを参照させていただきました。

ある方のブログにある牡丹の寫眞から、想い出しました。石畳から、段差のそれは低ーい石段がつづいていきます。 花山法皇は当山に深く帰依され,「いくたびも まいる心は はつせ寺 山も誓い(近い)も 深き谷川」と一首を詠んで称えられています。
japanrugby2027.blog.fc2.com
あじさいものびのびしています
南無十一面観世音菩薩文字碑
「入山」なんですね。写真右端のところでチケットを購入します。

入山料と、本堂の特別拝観、大講堂の特別拝観も合わせて1,700円のチケットです。
お寺と言えども霞みを食べてるだけでは生きて行けません。

ja.wikipedia.org
境内地図 こちらからもダウンロードできます

長谷寺縁起と伽藍

長谷寺は、山号を豊山(ぶさん)と号し、朱鳥(あかみどり)元年(686年)、道明上人が天武天皇のために「銅版法華説相図」を初瀬山西の岡に安置したことにはじまり、のち神亀(じんき)4年(727年)、徳道上人が聖武天皇の勅願によってご本尊十一面観世音菩薩を東の岡にお祀りになりました。徳道上人は観音信仰にあつく、西国三十三所観音霊場を開かれた大徳として知られ、長谷寺はその根本道場とも呼ばれるゆえんであり、長谷詣、長谷信仰は全国に広がりました。
下って天正(てんしょう)16年(1588年)、専誉僧正(せんにょそうじょう)がご入山されてより、長谷寺は関係寺院三千ヶ寺を有する真言宗豊山派の総本山として、また西国三十三所第8番札所として、檀信徒は約200万人、四季を通じて「花の御寺(みてら)」として多くの人々の信仰をあつめています。

長谷寺パンフレットより

仁王門から境内へ

仁王門、立派な造りの門です。

仁王門

長谷寺の総門で、三間一戸入母屋造本瓦葺の楼門である。両脇には仁王像、楼上に釈迦三尊十六羅漢像を安置する。現在の建物は明治22年(1889)の再建。
長谷寺」額字は、後陽成(ごようぜい)天皇の御宸筆。

長谷寺パンフレットより
仁王門、なかなかの迫力です
門の内側に飾られていた千羽鶴、グラデーションが奇麗です
登廊、外側です
登廊、内側

登廊(のぼりろう)
平安時代の長暦3年(1039)に春日大社の社司(しゃし)中臣信清が子の病気平癒の御礼に造ったもので、108間、399段、上中下の三廊に分かれている。下・中廊は明治22年(1889)再建で、風雅な長谷型灯籠を吊るしている。

長谷寺パンフレットより
歓喜院門前
「歓歓院(かんぎいん)」立て札。正面昭和寮の左に位置する
歓喜院の門前に建立された能阿弥顕彰之碑
能阿弥顕彰之碑 千宗屋(そうおく)氏が揮毫
 室町時代の連歌師・茶人・水墨画家であり、足利将軍家に仕えて同朋衆(どうぼうしゅう)として中国の美術品の目利きなどを担った能阿弥(1397~1471)。その顕彰…
www.asahi.com
登廊、なんとも良い雰囲気ですね
奥の院へ続く道、今日は眺めるだけです
寺宝展開催中とあったので寄ってみます
宗宝蔵入り口
宗宝蔵出口(上の写真の反対側から見たもの)

宗宝蔵

長谷寺六坊の一つ、清浄院跡地に建つ。
春と秋に開扉して長谷寺に伝わる国宝・重要文化財の宝物公開を行っている。

長谷寺パンフレットより

写真を撮ることが出来なかったので寂しいご報告ですが、硯箱やお盆の装飾(絵)が素晴らしかったです。

二本の杉

古今集・源氏物語等に詠まれた「二本(ふたもと)の杉」藤原俊成・定家塚 これより右100m
木々がのびのびと気持ちよく枝葉を広げています
杉を見たいので右側の道へ
大きな幹が見えてきました
おお〜♪
説明看板

ふたもとの杉のたちどを尋ねずば ふる川のべに君を見ましや  右近

はつせ川はやくのことは知らねども 今日のあふ瀬に身さえ流れぬ  玉鬘

二本杉(ふたもとのすぎ)
源氏物語二十二帖『玉鬘(たまかづら)』において、亡き夕顔の娘である玉鬘は長谷詣の道中、かつて夕顔に仕えた右近と運命的な再会を果たして共に長谷寺に参拝し、初瀬川のほとりにある二本杉の前で和歌を詠み交わしました。
以来、二本杉はその根元がつながり合っていることから、想い人と結ばれ大切な人との結びつきをより一層強いものにする霊木として人々に親しまれています。

総本山 長谷寺
そんな昔から繋がってたんだ…
二本とも立派に育っていますね。何歳だろ…
威嚇モードw

「藤原俊成・定家塚」を忘れてここから戻ってしまいました(^^;

乱張りです(笑)
緑に囲まれています
やっと気付いたけど、これ全部牡丹の樹じゃん!!
現在地

ふたたび登廊へ

登廊、長いねー
この右手に植えられているのが全部ボタン!! すごいです!! 来年の春、絶対来よう!!
慈眼院

慈眼院(じげんいん)
当山六坊の一院
古くは西蔵院と呼ばれていたが寛文5年(1665)当山第八世快壽僧正により再興・改称せらる

立て札より
もう少しで第一ターニングポイントw
なんと、『長谷寺かふぇ』とな…
たいへん心惹かれますが、来て早々にお茶というのも…ということで、生つば飲み込みながら通過しますw

ぜんざい食べたいな〜♪

下廊終点でござる。が…
す、すげー人ごみ… これが「あじさい回廊」ですか…
上からも行けるみたいなので、とりあえず今はパスします。人大杉よ…

中廊から蔵王堂へ

またまた階段ですよ。寺社めぐりも案外足腰の健康維持にはいいかもね。

中廊スタート地点から下廊を眺めます
常夜燈。後ろの杉の木も大木です
はーい、がんばっていこー♪
緑が多くていいですね
第二のターニングポイント「蔵王堂」

蔵王堂(ざおうどう)
天正5年(1577)の創建
三体の蔵王権現を祀る
寺伝によれば吉野金峰山寺より金の梯を渡って蔵王権現が現れ
功徳成就墜 諸佛経行砌
諸天神祇在 此山振威験
と告げたという

立て札より
紀貫之 故郷の梅(蔵王堂すぐ隣のスペース)

紀貫之 故郷の梅
人はいさ心も知らずふるさとは
花ぞ昔の香ににほひける(古今集)

【今回の歌】 紀貫之(35番) 『古今集』春・42 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香(か)ににほひける 4月です。新入学、新入社おめでとうございま…
ogurasansou.jp.net
小林一茶 句碑

此裡に春をむかへて我もけさ
清僧の部也梅の花 一茶

寛政10年(1798)元旦 登嶺の際詠まれし俳句
荘厳な雰囲気の山中で迎えた今朝 身も心も清浄 自分もまた清僧の仲間入りした感あり 一山に響く読経の声を耳に新しい人生の首途(かどで)の決意もみなぎる
この心境を言えば 寒気の中に凛として香り咲くまさに梅の花の如し

立て札より
水色のあじさいが奇麗です
いよいよ上廊です
永代常夜燈と書かれています
すごい柱!
三百余社(重要文化財/1650年造営、長谷寺 9棟)

いよいよ本堂へ

399段、上りきりました!(笑)

登り切って正面に見えるのは「愛染堂」
左を向いて、こちらが本堂です

ここから見るだけではそんなに大きさを感じませんが、実はめっちゃでかい建物なんです!

本堂(御本尊十一面観音菩薩)
国宝に指定されている本堂は、慶安3年(1650)に徳川家光により造営された大殿堂。10mを越す本尊を納める正堂、本尊を参拝する礼堂が屋根で繋がった入母屋造。山の斜面に建てられ、その大きさを懸造りにより支えられている。

長谷寺パンフレットより
上から上廊を眺めます
御朱印も色々あるんですね
こちらは切り絵の御朱印
高校生軍団がわんさか入って行くので、落ち着くまでしばらく待機します(^^;
セット券
軍団が落ち着いたので並びますが、まだまだ中では混んでいるようで、入り口で待機させられます

いちいち靴を脱ぐのが大変面倒なんですが、土足という訳にもいかないし礼儀としては仕方ないんですけどね… つばのある帽子も注意されるようです。

受付で五色のブレスレットをもらいます。

中に入ると、巨大な仏像に圧倒されます。ただただ「すげー」です。室生寺にあったのと同様の12神像もありました。

普段は関係者以外立ち入りが禁止されている本堂(国宝)の中に入って、本来触れることのできないご本尊観音様の御足に直接触れてお参りすることができます。寺宝展では、仏…
inori.nara-kankou.or.jp
こちらからも(左側)拝むことができるのですが、撮影は禁止です
だだっ広い空間(内舞台)の向こうに額縁のように緑が映えます
高校生たちはどんな風に感じているのでしょうか
ということはこちらが外舞台になるのかな

長谷寺 “時の貝”
【枕草子】師の坊に
をのこども・女・童(わらべ)などみなゆきて つれづれなるに ただ傍に貝(ほら貝)を俄に吹き出したるこそ いみじう驚かるれ

枕草子の作者、清少納言をおどろかしたホラ貝の音は、今も昔と変らず、一千年余の時を経るも、こもりくの初瀬の山々にこだまし、一山の僧侶・参詣者・町の人びとに時を告げている。
長谷寺の時報は、明け(午前6時)の鐘に始まり、12時は貝と鐘、夜の8時の貝で終わる。法要等の行事には、集会(しゅうえ)の太鼓を打ち半鐘を鳴らして、用意・入堂などを合図する。このように長谷寺の一日は鐘・ホラ貝・太鼓・半鐘によって時を告げ、行事を知らせて規律ある行動をする。
うっそうと茂る東の山が大初瀬山(おおはつせやま)で与喜山と呼び、天照大神常影向の御身体山であり、西の山は小初瀬山(おはつせやま)で観音山と称し、十一面観世音菩薩を安置する。この両山が一体となって初瀬山を構成する。神仏一体即ち神仏集合の信仰を象徴する。
長谷寺本堂は、舞台造りの建造物としては日本一の代表建築であるが、その舞台は単に眺望のためのみではない“与喜山礼”即ち天照大神はじめ諸仏・諸神を拝礼する信仰の場所でもある。古図によると、現在の舞台より更に突出した形で、初瀬の全容を拝するように造られていた。時の貝は、この舞台入口の東南の角で吹く習慣で、つまり時計台の役割も果たしていて、現在では鐘楼堂にて吹いている。

説明看板より
色とりどりな感じがチベットを思わせます
緑を主役に
美しい五重塔 昭和29年に建てられたそうです。案外新しいのね
少し引いて
本坊が向こうに見えます
本坊の前も人がいっぱいですね
「大悲閣」
奈良大和路の花の御寺、総本山・長谷寺。真言宗豊山派。由来や寺宝の紹介、行事や四季の花、お祭りの紹介、写真ギャラリー。
www.hasedera.or.jp
あしさい回廊、少し人が減ったようにも見えますが…
あじさい回廊、上の方は少し広いのかな
開山堂

開山堂(かいさんどう)
長谷寺開山、徳道上人を祀る。併せて西国三十三所各霊場の御本尊様をお祀りしている。毎月2日、徳道上人回向の法要を行っている。

長谷寺パンフレットより

あじさい回廊へちょっとだけ

あじさい回廊、上から攻めてみますが、やっぱ人多いわ…
花(萼ですが)の縁が色が変わっているのは終わりかけ、なんだそうですがこれはこれで奇麗ですね
ダンスパーティっぽい新しいがくあじさいもほんと奇麗

iPhoneでちゃちゃっと撮って早々に退散します(笑)

この回廊は寄せ鉢してるだけなので、取ってつけたような演出になってはいますが…
まあ奇麗なので撮影スポットとして賑わうのは分かる気がします。

やっぱ人多いわ(笑)手前の路地植えのが一斉に咲いてると見事なんだろうけど、タイミング外れでした

五重塔へ

茶所で一休みしてから五重塔へ向かいます。

ちらっと五重塔
でんでんむしだー♪
ええ運動でんな、ほんま
おお〜美しい♫
青空で良かった!

五重塔
昭和29年、戦後日本に初めて建てられた五重塔で、「昭和の名塔」と呼ばれている。純和様式の整った形の塔で、塔身の丹土色と相輪の緑青色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は、背景とよく調和し、光彩を放っている。

長谷寺パンフレットより

丹土色(につちいろ)とは朱色を少し落ち着かせた色とのことです。

本長谷寺

本長谷寺(もとはせでら)
天武天皇の勅願により、道明上人がここに精舎を造営したことから、本長谷寺と呼ばれている。朱鳥元年(686)、道明上人は天武天皇の御病気平癒のため国宝『銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)』を鋳造し、本尊としてお祀りされた。

長谷寺パンフレットより
鬼瓦がラブリーですよ♪ シャネル製かな(違
https://www.chanel.com/jp/

↑シャネルにリンク貼ってみたら拒絶感半端無いw
シャネルのロゴマークは両端が切れてるんですね。Cの左右対称みたいな。

なんかユーモラスです。望遠のおかげで楽しめます♪
躍動的!
弘法大師御影堂

弘法大師御影堂(こうぼうだいしみえどう)
宗祖弘法大師1150年御遠忌を記念して、昭和59年(1984)総檜で建立された。大師の両側には、細密な版画『長谷寺版両界曼荼羅』が祀られている。毎月21日、弘法大師御影供の法要を行っている。

長谷寺パンフレットより
チラリズム
モミジ好きなんです
おねいさん、撮り方わかってるじゃん♪
いい雰囲気で撮れました
竹とんぼみたいな実がついてます
「大悲閣」の人々
一切経蔵

一切経蔵(いっさいきょうぞう)
元禄4年(1691)牧野備後守成貞の寄進により再建
一切経は寛文7年(1664)水野石見守忠貞の寄進によるもので現在は宗宝蔵で保管されている
平成13年(2001)県指定文化財に指定

立て札より
本坊へ向かいます。たいがい疲れてきたw

奥の院はパスして本坊へ。かなり歩いたので、二人とも結構疲れてきました。

石垣が良いですね
緑多き道
六角堂(写経殿)
六角堂の門
閼伽井(あかい)

閼伽井(あかい)
灌頂(かんじょう)などの重要な儀式法要に用いる清浄な水(閼伽)を汲む井戸
閼伽は梵語(古代印度のことば)のアルギャという音を写した言葉

立て札より

うわー、こんな字(閼伽井)変換できるんか?!と思いながら「あかい」って入れたら出てきたよ!!!

灌頂(かんじょう)も普通に変換できてびっくり。すごいぞ「かわせみ3」(笑)

macOS Sonomaに対応した日本語入力プログラム。
www.monokakido.jp

あら、いつの間にか4になってた… うちのMacBookAir15M2もSonomaやからアップデートしとかないとなあ…

「大悲閣」もあんな遠くに
この右側にも牡丹がずらっと植えられています。すごいなー

本坊

本坊
事相・教相の根本道場である大講堂や書院などがある。寛文7年(1667)徳川将軍の寄進で建立されたが、明治44年(1911)炎上。現在の堂宇は大正13年(1924)に再建された。総檜造の大殿堂で、平成26年(2014)12月10日重要文化財に登録された。

長谷寺パンフレットより
事相と教相とは?ウィキペディア小見出し辞書。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 00:22 UTC 版)「…
www.weblio.jp
本坊が見えました
御所桜

御所桜
光明法皇御庵跡

北朝第二光明天皇(光明法皇)
康暦2年6月24日
大和長谷寺の勝尾庵にて崩御
「続史愚抄」記

立て札より

なんと、箕面の勝尾寺草庵で崩御されたとは… 近くにも歴史あり、です。

ja.wikipedia.org
いろいろな宮様の御手植松の数々が並んでいます
流石にこちらは石碑が建てられています
本坊です
ここにも紫陽花がお出迎え
中はおおむね撮影OKとのこと
木材の組みがすごいですね
おおおー、まひろじゃ
両脇に源氏物語絵巻が
ゴージャスなスリッパです(違
赤いのもあるよ
正面に見えるのが入り口です
中庭
廊下が長い
外に出て、再び大悲閣を眺めます

豊臣秀長公供養塔のある奥の院へ行ってないのがちょっとだけ心残りだけど、もう歩けまへんわ…

門前通りでくさ福餅を買います

お腹も空いてるけど、門前通りも人でいっぱい。とてもお店に入れるような様子ではありません。

とりあえず草餅だけは買って帰ろうと少し歩きます。

道に面してつくっているところが見えるお店です。インパクト大(笑)
くさ福餅って言うんだ
「ええトコ」が取材で来たんやね。八嶋智人やん!
中越典子と田中美里!
総本舗 白酒屋、雑誌にも掲載されています
こんがり焼けているのを上手にひっくり返していきます
んあー、美味しそう

というわけで6個入りを(相棒が)買って帰りました(^^)

お昼はなぜか家の近所でw

人と車でごった返す門前通りへ戻る気になれず、駐車場からそのまま山の方へ向かいます。

県道38号をまっすぐに北上、上之郷小学校あたりで県道50号へ合流左折、県道247号に入り、途中北上して国道25号に合流、「福住」から名阪国道に合流という、ほとんど信号も交通量も無いルートで帰途につきました。この道、案外良かったかも。

あとは近畿道〜阪神高速東大阪線〜池田線のルートでサクッと家路に。
豊中の「麺処まつ本」でお昼にしようと寄ったら、なんと店内改装でしばらくお休みとな!!!!!

黄金色に澄んだカツオだし。いわゆる「関西のうどん、そば」にこだわり続け、おかげさまで創業35年。大阪府豊中市で愛されるうどん、そば、丼物、定食の店、麺処まつ本で…
www.mendokoromatumoto.com

ねぎ焼き みつい

仕方なく石橋でお昼にするか、といろいろ悩んで結局家の近くのお好み焼き屋さんでお昼となりました。

ねぎ焼き みつい (石橋阪大前/お好み焼き)の店舗情報は食べログでチェック! 【禁煙】口コミや評価、写真など、ユーザーによるリアルな情報が満載です!地図や料理メ…
tabelog.com
とん平焼き、これ好きなんよ。ビールが進みまする♪
塩焼きそば
豚玉

車も置いてきてビール飲めて最高!お疲れさまでした〜♫